2021-06-09 第204回国会 参議院 憲法審査会 第5号
しかし、例えば憲法改正などにおいても、個人の価値観に関すること、あるいは倫理観とか死生観、そういったものについて議論をするというときには、やっぱり憲法改正の議論をする上においても党議拘束が外れるということも場合によってはいいこともあるのではないかと、このように思っております。
しかし、例えば憲法改正などにおいても、個人の価値観に関すること、あるいは倫理観とか死生観、そういったものについて議論をするというときには、やっぱり憲法改正の議論をする上においても党議拘束が外れるということも場合によってはいいこともあるのではないかと、このように思っております。
死について語るのは縁起でもないことでもなくて、子供たちへの残酷な問いでもなくて、お互いの死生観、この後どうしちゃおうを交換しておくことは、いずれやってくる大きな悲しみを癒やすエッセンスになるのかもしれないなと、私もこれを子供たちに読んでもらって思った次第です。 資料一を御覧ください。こちら、文科省にいただいたがん教育の教材です。
そして、先ほどの、この後どうしちゃおうじゃないですけれども、自分がケアする相手がどんな死生観を持っているのか、例えば延命措置を望むのか望まないのか、そういったところも交換しておかなければ、なかなかその後、お互いにどういったケアを望んでいるのか、どういったお互いの人生を過ごすのかというのも合意ができないというところがありますので、せっかくがん教育をするのであれば、その死ということ、命ということ、生きるということにつながるって
あれは、古代エジプトの新王国時代、今から三千年から三千五百年前の古代エジプト人の死生観、死の捉え方を現時に伝えるという。紙というものは保存に非常に適していた、パピルスは紙の一種ですけれども、といったことが分かっています。例えば、人類がいつか生物として滅んでいった場合も、パソコンとかの電子ファイルは一切消滅して恐らく残らないでしょう。
それぐらい、やはり、死生観、倫理観、生命観、いろんなものがある中で、意見がまとまらない、国民の中でもまとまらないという法案でありましたが、その責任をしっかり担った国会、国民の代表たる国会がしっかりと法律を通して、そして、今、まだ十分じゃないところがたくさんあるのは私も承知しておりますが、それぞれ議員連盟等々でいろんな活動をいただきながら、法律ができましたから、政府もしっかりとそれに対して対応いただいておるということであると
先生は、死生観の話になると、死はびっくりするほどの嘆き悲しむことではないで、いずれまた会えるんやとおっしゃっていましたよね。先生、是非またお目にかかって、日本を、天下国家を論じ合いたいと存じます。先生、大変お世話になりました。心から感謝申し上げます。
その中で、岡部医師、お医者さんが、戦後の日本では、宗教や死生観について語り、この暗闇におりていく道しるべを示すことのできる専門家が死の現場からいなくなってしまったということで、この方の情熱で講座ができているわけでございます。
延命治療をすることを望んでいる御家族も本人もおられるわけでございまして、ですから、本当に日本は、今全く議論がないまま来ておりますけれども、死生学あるいは死生観、そしてQOD、これをよくよく考えて、本当に効果のある医療、国民の皆さんが幸せを感じられる医療、これをつくり上げていく。安易な安楽死や尊厳死の議論には絶対くみしてはならないということも申し上げて、質問を終わります。よろしくお願いします。
しかし、日本では、この死生学というのが余り知られていないし、余り、死生観についても語られることが少ない。人間の大きな役割は三つあると私は思っておりますけれども、生きる、死ぬ、みとる、この三つだと思いますけれども、その死ぬとみとるところが相当すっぽり日本の社会は抜けているんではないのかというふうに思うわけでございます。
これは、やっぱり臓器移植とは、これはもうかなり深刻、これは重大な死生観に関わるこの課題でありまして、それとはちょっと大分趣を異にすると私は考えておりますので、これについては我々としては最後はまとめて……(発言する者あり)まとめるという意見もこちらからございました。これは、あとは厚労大臣も、議論と同時に、厚労大臣の人徳もあり、しっかりとまとめていただけると、このように思っております。
そうしたら、日本人の死生観というものを共有化して、ある程度ベースをつくって、どうするのという議論を僕は本当にすべきだと思いますね。 僕がずっとやってきたのは、セシウムとかラジウムというのを患部に埋め込んでいったわけです。日本一被曝している医者なんですよ、だから。国立病院でしたから、いい機械買ってもらえませんでしたから。
であれば、同時に、尊厳死や死生観に関する社会的合意に向けて国民的な議論をしていく必要があると私は考えております。 今月、厚労省より、人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドラインというものが出されました。
このクオリティー・オブ・デスを高めるために、尊厳死や死生観に関する社会的合意に向けて総理にイニシアチブを取っていただいて、国民的議論を喚起すべきだと思いますが、いかがでしょうか。
おっしゃるとおり、例えば死生観に関係するようなそういった法案には、過去、党議拘束を外されたということも私は承知しております。 衆議院については、正直、ある意味党利党略で動かざるを得ない部分もあろうかと思いますし、その党議拘束はある意味仕方ないのかなというふうに思いますが、私は、繰り返しですけれども、参議院はそうであってはいけないなというふうに思っている次第です。
いろいろな議論の中で、A案というものが採択されて、恐らく、党議拘束を外されて、先ほど尊厳死のことも言いましたが、それぞれの死生観も含めた考えの中で、臓器移植法が改正をされた。 資料の一枚目は、平成二十二年に施行されましたが、その後、二十三、二十四、二十五、二十六年度はまだ途中経過ということですが、全体としてはふえていないわけですね。
まさに死生観、また人生観にもかかわってくる問題。よく引き合いに出されますけれども、世界一幸せな国、ブータンという国がありますけれども、そこは平均寿命は六十五歳ぐらいです。ですから、もちろん、長生きをして幸せな健康的な生活を営むというのは我々の理想ではありますけれども、そのことにもさまざまな角度から検討を加えていく必要があるのではないか、それは共通した認識だろうと思います。
私自身も、健康の問題あるいは医療の問題というのは、人の人生観にもかかわる、あるいは死生観にもかかわる問題だと思っております。そういう面で、あえてこの法案の中で健康長寿社会の実現ということを強調されている理由をお聞かせください。
非常に重たいテーマでございまして、人の生き死ににかかわる部分であり、やはり死生観だったり、それから哲学だったりというところに大きくかかわる部分であって、さまざまな議論のあるところかなというふうに思っています。役所の側で政策的に誘導していくということが基本的には不可能な、そういう問題だろうというふうに思っています。
ただ、実際にその場面になったときにどう考えられるか、どのような行動をされるかというところについては、それぞれの方々の人生観でありますとか死生観もありますので、なかなか一律に決めることは難しいのではないかというふうに考えております。
すなわち、国政重要問題のうち、まず、憲法改正の対象となり得る問題のほか、二つ目として、統治機構に関する問題、これは、例えば両院制の問題など、国会による発議が必ずしも機能しない可能性があることを想定された問題でありますが、このような問題、三つ目として、生命倫理に関するような、政党政治を超えた、国会議員、国民の死生観などに関するような問題、この三つを例示として掲げた上で、その具体的な対象範囲は、国民投票
具体的には、例えば食生活でいえば、我が国の四季折々の多様な食材を生かし、目で楽しみ舌で楽しむ、またヘルシーさ、それからうまみ、こういった部分が我が国の生活文化の特色ということになろうと思いますし、漫画やアニメの世界でいえば、例えば手塚治虫先生の「火の鳥」のように、日本独特の死生観や土着の風俗を織り込んだ漫画、アニメ、こういったものが我が国の生活文化の特色を生かしたコンテンツということになると考えております
最後になりましたけれども、村里公述人にでございますが、新潟からお越しだということですけれども、岩手というと、私は、遠野物語とか語り部の方々、語って伝えていただいてきたわけですけれども、本当にお亡くなりになったりして悲しいことで思い出したくないことだろうとは思うんですが、一つは、やっぱり私たちも自然災害というもの、生死観というんですか死生観というんでしょうか、人生観とか生き方とか、生とか死というものを
○谷岡郁子君 総理、是非国民投票について、特に国民の倫理観ですとか死生観、国柄を伴うような問題については、私はやはり国民投票ということをしっかりやっていて国民のアイデンティティーというものをつくっていくことが必要だと思います。そういうことをやった上での憲法改正議論というものをやっていただきたいというふうにお願いをしておきます。 さて、原子力の問題に移りたいと思います。
これは人間の死生観にかかわる、尊厳にかかわる問題でありますので、お金の観点から議論するということはいかがなものかと思いますけれども、ただ、不可逆的なんですね。なかなか元気にならない。本人確認をした上で、こういったいわゆる終末期医療というもののあり方を議論するということ。 この三つについての総理の御意見を聞かせていただきたいと思います。